白井です。
1885年の今日は、指揮者のオットー・クレンペラーのお誕生日だそうです。
亡くなったのが1973年ですので、亡くなったのは私が生まれてから2年後のことなんですね。
オットー・クレンペラーは名前もよく存じ上げていますし、録音も結構聴きました。
ちょっと調べてみると、芸術家らしいかなり破天荒な人だったみたいです。
Wikiネタなので真実はどうか分かりませんが、以下のような逸話があるみたいです。(以下、Wikiからのコピペの抜粋)
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ある朝、クレンペラーの娘ロッテがホテルの父の部屋をノックした。部屋は散らかり服は散乱し、ベッドには若い女性がいた。クレンペラーはその女性に歩み寄り言った。「紹介しよう、私の娘ロッテだ。ところで君の名前をもう一度教えてくれないか?」
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クレンペラーはあるリハーサルのとき激怒してしまい「タクシーを呼べ!」と叫んだ。劇場支配人はクレンペラーの激しやすい性格を知っていたので、タクシー運転手に対し、彼を乗せて劇場の周囲をグルッと一回りしたあとに戻ってくるよう指示した。タクシーは本当に戻ってきて、クレンペラーは指揮台に戻り中断した箇所からリハーサルを再開した。
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いやー、面白いですね。
実際にこういった人は、芸術家の中には結構居るかと思います。
私もここでは言えませんが、音楽家の結構な面白いネタを知っています。
基本的に、芸術家って子どもです。
子どもの心を持ちながら、大人になった人たちばかりです。
でも、それこそが大切なことなんだと思います。
世間一般常識の「大人」では、いい音楽は奏でられないと思います。
中学生的な悪戯心や純粋な子どものような心を大人になっても持っているからこそ、人を感動させることのできる音楽を奏でられるんだと思います。
私も朧げながら、世間一般的に言われている「大人」というものにはなりたくなりと、今でも思っています。
人が抗えないような美しい大自然を見た時には素直に感動して涙したいですし、面白いことがあったら仲間と大口開けてゲラゲラ笑っていたいんです。
世間で言われる「大人」という常識に縛られたくはないんです。
この駆け引きのない純粋な心の表現こそ、人を感動させるこのできる音楽を奏でられる原動力なんだと思います。
異性・恋愛・下ネタ・大自然・食・酒は、芸術家の原点だと、私は勝手に思っています。
周りがそんな人たちばかりですので、音楽に関わって良かったなー、楽しい人生を過ごしているなー、と今現在でも素直に思えます。
人って「生まれてくること」と「死ぬこと」は誰でも平等に訪れます。
それであれば、生まれてきて死ぬまでの間、どれだけ楽しく充実した人生を過ごせるかが重要だと思います。
死ぬ瞬間に「あー、生まれてきて良かったなー」と思って死ねるということこそが、私の中での真の成功だと思っています。
そのためには、駆け引きのない人たちとともに、楽しく充実した日々の「思い出づくり」がどれだけ沢山できるかが、とても重要なことだと思っています。
そんな意味でも、音楽に関わっていて本当に良かったなと、素直に思えます。
コロナ禍の時代ではありますが、心だけは充実しています。
音楽という素晴らしいものに出会えたことには、感謝しきれないくらい感謝しています。
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